Sabtu, 02 Maret 2013

要旨


要旨

本論文で筆者は、日本語とジャワ語のスピーチレベルについて述べた。それぞれのスピーチレベルを比較して、いくつかの相違点(そういてん)を見つけることが目的である。研究方法には対照言語学を使った。日本語とジャワ語のスピーチレベルはいくつあるか、どんな形を持っているか、どんな意味を表すのかについてデータを分析して調べた。

日本語のスピーチレベルは敬語(尊敬語と謙譲語)、丁寧語、普通語という三つのレベルに分けられる。尊敬語とは目上の人敬意を表すべき人(親しくない人、「外」の尊敬するべき人)の行為や状態を高めて敬意を表すことばである。謙譲語は話者や「内」の人が話題のとき、その人を低めることによって聞き手に敬意を表すものである。丁寧語は聞き手に対する敬意を表す形である。普通語は敬意を表さない形で、親しい人(家族や友人など)と話すとき使う言葉である。

それに対して、ジャワ語のスピーチレベル(以下ジャワ語のundak-usuk)はNgoko標準(ひょうじゅん))、Madya中程度(ちゅうていど))、Krama待遇(たいぐう))という三つのレベルに分けられるけれども、それぞれのレベルは詳細(しょうさい)下位(かい)レベルを持っている。大ざっぱに言えば、NgokoNgoko Lugu, Antya Basa Basa Antyaに分けられる。そして、Madya Madya Ngoko, Madyantara と Madya Kramaに分けられ、KramaMudha Krama, Kramantara Wreda Kramaに分けられる。

Ngokoは日本語の普通語のように、親しい人と話すときに使うundak-usukである。しかし、家族の父や母、年上の人と話すとき、Madya Kramaレベルの文型を使う。それは距離(きょり)をおくというより、冷機正(れいきただ)しいというか、年上と若者の考えがあるからできたルールである。
上記(じょうき)に書いたが、Krama Krama Inggil Krama Andhapに分けられる。Kramaは日本語の尊敬語と同じで、目上の人や年上の人を尊敬するために使われるUndak-usukである。なお、Krama Andhapは自分を謙遜(けんそん)するために使われるUndak-usukである。尊敬語と謙譲語の使い方は「内」と「外」というルールについて、知られて、ジャワ語のUndak-usukは「内」と「外」というルールについて、知られない。

日本語の敬語とジャワ語のKrama類似点(るいじてん)は、形から見ると、どちらも丁寧体か普通体に変えることができる点である。相違点(そういてん)は、語彙から見ると、尊敬語および謙譲語で語彙レベルの違いがある一方、ジャワ語の敬語体と普通体の違いは語彙(ごい)レベルにとどまらない。日本語のほとんどすべての単語は普通語と丁寧語 と尊敬語に変えることができるがNgokoの単語に対応(たいおう)するKramaの単語はあっても、Krama Inggilにはない場合などがある。そして、日本語には活用があるが、ジャワ語には活用がない。 例えば、Mangan [食べる]は、現在(げんざい)進行中(しんこうちゅう)過去(かこ)など時制(じせい)、アスペクトを表す活用がない。

 日本語は「内」と「外」の概念があり、だれと話すか、だれについて話しているかに重点が置かれるが、ジャワ語は、そのような概念(がいねん)はない。ジャワ語では、話し手の会社であれ、それ以外の会社であれ、目上の人またはよく知らない人に対する場合には敬語を使う。

日本語とジャワ語のスピーチレベルは何百年もの間に、社会階級を背景に生じたものである。日本では、皇族(こうぞく)貴族(きぞく)武士(ぶし)農民(のうみん)商人(しょうにん)職人(しょくにん)および庶民(しょみん)の社会階級がある。ジャワでは、王族(おうぞく)、貴族、商人、農民、漁師(りょうし)、庶民というのがある。 日本およびジャワのコミュニティにおける存在はそれぞれの階級によってそれぞれ異なったレベルを産んだ。

残念ながら、日本語の待遇表現やジャワ語の敬語体系の使用法に若者はあまり注意を払っていない。日本語の尊敬語と謙譲語の形で使用法に多数(たすう)間違(まちが)いが見られることや、ジャワ語のクロモ・アンダップ(Krama Andhap)とクロモ・インギル(Krama Inggil)の使用法の誤りなどからそのことが分かる。日本語学習者もジャワ語学習者も日本語の待遇表現やジャワ語の敬語体系をもっと勉強するべきだと筆者は考えるこれらは国の文化の一つものだから、大切にするべきだと思う。

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